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​一足先に、新作「町議・房子の逃走」をご覧いただいた方の感想です。

(到着次第随時更新・順不同)

一般的な映画で観る「地方」は、牧歌的で人は優しく、穏やかな空気に包まれていることが多い。この映画にはそんな地方のファンタジーはなく、リアルな地方の空気がありました。

鑑賞直後の感想は、「価値」とは何か。 何に価値を見いだせるのか、それは人それぞれ。 「地方創生」「地域振興」「地域活性」 いろんな人が、いろんな言葉で、地方を元気にしようと言っています。 正直、そんな言葉に興味はありません。 私は地方に価値を見いだした。ですので住んでいます。私にとっては、それで充分。 地方の元気とは、それぞれがそれぞれに見いだした地方の価値の集合体なのではないのかと。 同じ価値を感じられる人が集まったら楽しいです。集めるための行動が、私にとっての地方創生。 この映画を観てそんなことを考えました。


合同会社オフィスくりおこ&栗山町地域おこし協力隊・高橋毅

正解は無い。そして、みんな可愛い。

其処から色んなことが生まれる。

いいことも、わるいことも。

 

正解は無い。そして、みんな可愛い。

全部呑み込み、時は進む。

 

正解は無い。そして、みんな可愛い。

誰もが自分の人生のスターだ。

ちゃんと覗けば、なんて魅力的。

 

正解は無い。そして、みんな可愛い。

それを再確認させてくれるのが、

吉雄映画なんだと思います。

 

美術ユニットの片割れ・小磯卓也(ReguRegu)

やり場がなく、息が詰まるような、狭いコミュニティの中で感じたことのある、あの感じ。そこから逃げるのか。逃げられるのか。逃げてもいいのか。きっとあなたも、だれもが、似た「何か」に立ち向かったことがあるのではないでしょうか。

「リアル」な地方の閉塞感と人間関係。変わっていく街並み。他人ごとと捉えるにはあまりにリアルな物語。見る人によって捉え方が全然違う物語になることでしょう。

​写真家・クスミエリカ

「全米が泣か」ないし、何も劇的なことは起きないし、ドラマチックじゃないし、サスペンスフルでもないし、アクションはないし、興行収入1位は絶望的に難しいし…

 

その代りと言ってはなんですが、人口が減って、子供が少なくなり、議員のなり手がいなくなり、鉄道が廃線になってバスに代わり、息子や娘が都会へ出ていき、老人施設が増え、買い物するところがなくなっていく…、そんなわれわれの「未来」のコミュニティ像が映されている…、のかもしれない。 そんな映画です。

 

これを「寂しい」と捉えるか、「希望がある」と捉えるか。

ボクは、楽天的に後者でありたい。

さっぽろ大通コワーキングスペース ドリノキ店長&

特定非営利活動法人 北海道冒険芸術出版 共同代表理事・金山 敏憲

映画を見ながら、僕はなぜか「不発弾」という言葉が浮かんできました。

映画の冒頭、主人公の房子は化粧をしています。けれど、きれいになるわけじゃない。町議会議員という仕事のせいか、いたって控えめなもの。それでもカメラは彼女が化粧をする姿を長々と映しだします。

時折映る、北海道の小さな街の風景は、どこか淀んでいます。空も決して晴れることがない。その風景が影響しているのか、房子は親との関係も、子供との関係もぎくしゃくしている。映画のタイトルに「逃走」とあるので、ここから彼女の逃走が始まるのかと思いきや、逃走は不発に終わります。

でもね、人生に一発逆転なんか起こらない。一発逆転を夢見ても、不発の連続。おそらく全国の寂れた街にも一発逆転は起こらない。思えば、これまでの吉雄孝紀監督の映画の多くが、そうした人物を描いてきたようにも思います。凡庸な映画が一発逆転の華やかさや、何かを突破する強さを描く中で、吉雄孝紀監督の映画は、はじけそうではじけない、走り出す一歩手前でとどまってしまう、そんな不発感があるように思います。

けれど、不発弾はやっぱり爆弾です。いつ爆発するか分からない、というのは怖いです。そして多くの人は自分の中にそうした不発弾を抱えているのではないでしょうか。映画の最後近くに見せる、風に吹かれた房子の顔は、たまらなく魅力的でした。 

映画監督・本田孝義

 議員・過疎化・教育問題…この作品が扱ってるものを羅列するとなんだか重たい印象を受けるが、映画を見ると不思議な軽やかさを感じる。

 それはこの映画の描く世界が現実のそこかしこにある風景だからなのかもしれない。そこにいる人々は重みを抱えつつもひたすら今日を生きているのだということを痛感する。 今日を生きるには重たい気持ちのままずっとなんかいられない。そしてそんな世界はきっとすぐそばにある。

 時には自分のどうしていいかわからない感情に絶望したとしても、人はまだ生きていく。 この映画の主人公、房子もまた生きていくのだ。

 この映画のナレーションは房子の息子であり、房子の心情は一切わからない。ときに感情的に、ときに軽やかにも見える房子の気持ちを想像しながらもう一度見たい。

アートディレクター&プロデューサー・

カジタシノブ

稀人、来たりて。

 保守と革新、さらに謎の女=稀人(まれびと)が加わって、地方の町が混乱を極める。そんな着想の面白さに、瞠目させられた。命名から150年という歴史の浅い北海道は、やはり稀人にしか変革できないのかもしれない。いずれにしても、作品全体に北の大地の空気感がみなぎり、厚みのある映像を作り上げている。とりわけ、北海道からロシア国境近くに見立てたラストシーンが素晴らしい。作家の仕事であると思う。

エッセイスト・和田由美

だだっ広い景色にそぐわない閉塞感。

その土地に縁もゆかりもない仕切り屋。

いろんなことを諦めた自分を、受け入れるしかない現実。

地方の多くの町が抱える“あるある”が、ぎゅっと詰まった作品です。

映画ライター・矢代真紀

全道各地を歌い回ってきたので、賑やかな街にも寂しい街にも出会ってきました。

「静かで穏やかな感じ」「寂れて荒んでいる感じ」

音量という意味では同じ静けさなのにこの空気感の差はなんなんだろう?と考えてしまうことがあります。

タイトルには「房子の逃走」とありますが、僕が感じたのはむしろ房子の「闘争」。

父との対立は深まるばかり、一生その確執と闘い続ける日々なのかと思いきや意外なラストシーンが待っていました。文句ナシのハッピーエンドには見えませんでしたが、それでも「幸せな未来」への答えをひとつ見せてくれる、また自分にとってのそれは何なのか考えさせられる映画でした。

シンガーソングライター・

なかにしりく

 北海道という土地では150年余りで、魚を穫り、木を切り、石炭を掘り出し、鉄路をひいて、急速に近代化が進みました。わずか数世代で成し遂げた、そのめまぐるしい速さにこそ、私たちの仕事や暮らしの苦労や困難があります。

 画面の中には、その後の“今”が散りばめられていた気がします。根無し草でもある私たちの悩みに、少し触れている気がしました。

            

北海道アルバイト情報社 代表・

村井俊朗

 鈴枝房子さんの熱演、木村純一さんの怪演、東華子さんの役どころにぴったりなムード、寺西冴子さんのエロ姉さんぶり、感服いたしました。

 教育問題などリアルな視点も良かったです。

 日常とは、同じ事が連続しているのではなく、(自分にとっては当たり前だが他人からは奇妙に見える)異質な出来事が連続しているのだ、と感じました。

ミュージシャン・

ミミ山田(シェッタガーリア

「町議房子の逃走」あるいはヨシオ映画の方向について

 裏拍で刻むBGMとともに、町議の房子・45歳が化粧を始める。

 鏡の前で大きなあくびをして、奥歯に被せた銀冠を光らせながら、そばかすの浮いた丸顔に次々と化粧を重ねていく房子。圧倒的リアリティを持つ房子に引きずられて、我々はヨシオ的世界に入りこむ。

 ところがその先に待っていたのは、現実味のない人々、間の悪い会話、誰もいない公園、曇り空のシャッター街。平面に切り取られた畑――。どこにでもありそうで、どこにもない不思議な時間軸を持つ町がそこにある。

 そのうち、こちらの神経がざわざわ、そわそわしてくる。房子のように、逃走するか畑のまんなかで煙草を吸いたい気分になる。

 イライラの原因は、方向がわからないことなのだ。

 房子はどこに逃走したいのか。物語は前へ進んでいるのか後ろに進んでいるのか、いったい映画はどこに向かってるんだ!?

 しかし、ヨシオ監督はそれを示さない。そして、映画は終わる。短編映画なのに、なんだか3時間くらいみたような疲れが、どっとでる。

 ところが、これは奇妙なことだが、ずっとイライラしていたはずなのに、胸の中がせいせいしているのだ。肺に乾いた風が通って、自由な気分だ。

 そういえば、昔のヨシオ映画に「25.5cmの…」という作品があった。最後のシーンでヨシオ監督がこだわったのが、「こっちって、どっちだよ!?」と言うセリフだった。きっといまの彼なら、チェシャ猫のように「どっちへ行こうと問題ではないさ」と、ニヤリと笑って答えるような気がする。

 後ろでも前でも、行きたい方向に行けばいい。一歩踏み出すことに違いはないのだ――。

 ”こっち”がどこかを探し続けてきたヨシオ監督の答えのひとつが、この妙な映画には詰まっている。

ライター・井上美香

故郷のマチの線路が消えたのは、私が12歳のころだから約30年前。
減っていく人と店と増えていく高齢者施設と。
私はあのマチから出たくて、何者かになりたくて、
18の時から北海道内いろんな所で学んだり働いたり辞めたり飲んだり結婚したり出産したりして、
どこの町もそれなりに苦しかった気がする。
今でも結局私はあのマチが、大好きで大嫌い。
そんな心地の悪さを思い出させる、
シュールなのにリアルな逃走あるいは闘争の映画。

主婦兼劇作家・鷲頭環(南幌町)

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